ものごとには始まりがある
シンクロニシティ
2012年11月06日
シンクロニシティーの謎2
シンクロニシティーの謎2
「シンクロニシティー」を不思議に感じるのは、因果律が成立しないからです。
しかし、ほんとうにそうでしょうか。
人間は無意識という潜在意識が働いています。
目標(結果)に合うように無意識に原因を作っているとも思われます。
偶然が目に見えない必然だとすれば、未来は決まっていることになります。
私たちは、未来が決まってるなどと信じたくはありませんね。
「人生に起こることは、あらかじめ全て決まっていた」
などと考えたら、人生の生きる意味が無くなってしまいそうです。
でも、賢者は「この世に偶然など存在しない、なるべくしてなっているのだ」といっています。
偶然は必然の世界なのでしょうか。
悟りを得たお釈迦さまの教えを紐解いてみよう。
お釈迦さまは「因果応報」として、自分の身に起こってくることは、自分で起こしているのだと諭しておられます。
「因果応報」から見れば、未来は決まっていることになります。
しかし、その決まっている未来は自分が作ったというわけです。
言葉を変えれば、未来は自分の自由意志で好きなように変えることができると諭されているのです。
「自分の人生は自分の自由意志でつくりあげている」ということですね。
ところが自分の思い通りに事は運ばないことは自明です。
予期しない事故や大震災、病気などに運悪く遭遇したりします。
反対に宝くじに当たったり、大儲けのビジネスが舞い込んできたりもします。
そんなとき人は、運が良かった、悪かったなどと一喜一憂するものです。
一体運命とは何でしょうか。
お釈迦さまは「因縁論」の中でそのことも説いています。
「あなたとは縁があったのね」
と、日頃、人は何気なく言っていますね。
お釈迦さまは「袖触れ合うも他生の縁」といっておられます。
それは偶然ではなく必然のもとで出会ったのだと説いているのです。
「この世に偶然など無い」と力説されています。
私たちは、自分の意志で起こったことは「必然」と考え、自分の意志に関係なく起こったことを
「偶然」と呼んでいます。
あらゆることは、因縁によって運ばれているとは説かれています。
縁と自由意志はどのような絡みになっているのでしょう。
そこには深い宇宙の仕組みが働いているに違いありません。
私たちの人生は、この偶然と必然が縄を編むように一体となり、絡み合っていることだけは確かです。
これからも、あなたの人生に数々の偶然が起こり、人生を色づけていくことでしょう。
「シンクロニシティー」を不思議に感じるのは、因果律が成立しないからです。
しかし、ほんとうにそうでしょうか。
人間は無意識という潜在意識が働いています。
目標(結果)に合うように無意識に原因を作っているとも思われます。
偶然が目に見えない必然だとすれば、未来は決まっていることになります。
私たちは、未来が決まってるなどと信じたくはありませんね。
「人生に起こることは、あらかじめ全て決まっていた」
などと考えたら、人生の生きる意味が無くなってしまいそうです。
でも、賢者は「この世に偶然など存在しない、なるべくしてなっているのだ」といっています。
偶然は必然の世界なのでしょうか。
悟りを得たお釈迦さまの教えを紐解いてみよう。
お釈迦さまは「因果応報」として、自分の身に起こってくることは、自分で起こしているのだと諭しておられます。
「因果応報」から見れば、未来は決まっていることになります。
しかし、その決まっている未来は自分が作ったというわけです。
言葉を変えれば、未来は自分の自由意志で好きなように変えることができると諭されているのです。
「自分の人生は自分の自由意志でつくりあげている」ということですね。
ところが自分の思い通りに事は運ばないことは自明です。
予期しない事故や大震災、病気などに運悪く遭遇したりします。
反対に宝くじに当たったり、大儲けのビジネスが舞い込んできたりもします。
そんなとき人は、運が良かった、悪かったなどと一喜一憂するものです。
一体運命とは何でしょうか。
お釈迦さまは「因縁論」の中でそのことも説いています。
「あなたとは縁があったのね」
と、日頃、人は何気なく言っていますね。
お釈迦さまは「袖触れ合うも他生の縁」といっておられます。
それは偶然ではなく必然のもとで出会ったのだと説いているのです。
「この世に偶然など無い」と力説されています。
私たちは、自分の意志で起こったことは「必然」と考え、自分の意志に関係なく起こったことを
「偶然」と呼んでいます。
あらゆることは、因縁によって運ばれているとは説かれています。
縁と自由意志はどのような絡みになっているのでしょう。
そこには深い宇宙の仕組みが働いているに違いありません。
私たちの人生は、この偶然と必然が縄を編むように一体となり、絡み合っていることだけは確かです。
これからも、あなたの人生に数々の偶然が起こり、人生を色づけていくことでしょう。
2011年10月10日
東洋の神秘に魅せられて
私は宇宙の神秘に魅せられて、その謎解きに半生を掛けてきました。
内界の世界と外界の世界はつながっているという東洋思想家たちの文献を読みあさり、ここに書かれていることは「ほんとうだろうか」と、いつも疑問でいっぱいでした。
それは知識では分からない不思議な世界でした。
何の体験もない私にとって、もやは体験以外に納得できる道はないと思い熊野で言霊修行をしたり、禅寺に篭ったりもしました。
それでも手がかりは何も掴めなかった。
変な研究に陥って自分の人生を無駄にしたくなかったので、今度は素人ながら科学書を紐解いて行きました。
そこに書かれてあることは、東洋の神秘など一連の物語にすぎないと、どの本にも書いてありました。
「やはり夢幻の世界なのだ」そのときそう思った。
しかし、その道の達人に常識では信じられないような現象を何度も目の当たりに見せられた。
これはトリックか幻覚かなどと考えながら人生の迷路の入ってしまいました。
フィリッピンのバギオまで行き心霊手術も体験してきました。
ヨガの専門家と一緒にインドまで足を運びました。
UFOに遭遇し至近距離から撮影した写真も見ることができた。
韓国まで出かけて「振り子」の名人にも会って来ました。
それらの数々の体験によって偽物と本物の見分けがある程度つくようになりました。
そして行き着いた先は人間の「意識」の不思議さでした。
人間の意識の「内界の世界」と現実の「外界の世界」の一致を垣間見たのです。
その中で特に「催眠現象」や「時間空間」「シンクロニシティ」に興味がありました。
確かに人間は私達が考えている以上の不思議な生き物です。
この歳になりやっと東洋の思想家たちの言ってる意味がぼんやりと分かり始めてきました。
これから間違いなく東洋の時代に入っていくことでしょう。
そして21世紀は「精神科学」の時代です。
体外離脱、催眠、透視、テレパシー、シンクロニシティなどに科学のメスが入りました。
古代から綿々と伝わってきた東洋の叡智をみなさんと一緒に学んでいきたいものです。
水口清一公式ホームページ
2011年09月01日
「偶然」に法則などあるのか
もし自分に奇跡が起こったら…
永い人生には、なんともし難い苦境に立たされることがあるものです。
そんな時、思わず「神様!」といって手を合わせたくもなるものですね。
絶体絶命の窮地に追い込まれたとき、人は誰しも心の中で奇跡を願う。
確率的にあり得ないことが起こった時、私たちはそれを奇跡と呼んでいます。
事実は小説よりも奇なり」と、言われているように、この世には信じられないような奇跡話がたくさんあります。
しかし、自分に奇跡が起こって欲しいと願うのが人情というものです。
どうすれば奇跡が起こるのか。
実は私にもそんな経験はありますが、人様が絡んだ話なのでここで詳細な話はできません。
奇跡はいつも「偶然」から始まっています。
平凡な人生の中に、時々忍び寄る奇跡の数々その中には必ず、「偶然」と言う要素が入り込んでいるのです。
「偶然」の正体とは?
「偶然」は神様の贈り物のような気がします。
私は昔から「偶然」というものにとても興味がありました。
偶然に出会った人、偶然に出会った仕事、偶然に行った場所、偶然に見た夢、偶然の計算違い、偶然に買った本、偶然…偶然…そこから新しい人生が始まる…
世の中には数え切れないほどの奇跡が毎日のように起こっています。
今まで歩んできた、あなたの人生の中にも小さな奇跡が起こっていたはずです。
たまたま偶然にその場所に居たために幸運に見舞われたとか、ある会合で偶然に知り会った人から大口の商品を受注出来たとか、電車に乗り遅れたホームで十五年ぶりに友人に再会できたとか。
このように、何気ないふとした出来事によって、人生が大きく変わってしまった人がたくさんいます。
あなたの愛する人との出会いも、ほんちょっとした「偶然」から始まったのではないでしょうか。
予期せぬ偶然が、あなたの人生に奇跡を起こしている。
こう考えると、人生って何と冒険に満ち溢れたエキサイティングな旅でしょうか。
未来はどうなるか、誰にもわからない、分からないから面白いとも言えますね。
良いも悪いも、人生には予期しないことが起こるものです。
幸運に恵まれた予期しない偶然は歓迎するが、悪い偶然は起こって欲しくないと思うのが人情です。
驚くべき事に、この偶然という現象に法則が有るといったら信じられるでしょうか…
奇跡は、早くもなく遅くもなく、丁度良いタイミングで起こるものです。
「正に、神業だ。」
やはり「偶然」は神様の贈り物のようなきがします。
人の運命は「偶然」によって運ばれているー
http://ilt.jp/synchro/
2011年07月15日
「シンクロニシティ」講演会&セミナー
「未来は「今」の中にある」
猛暑が続いていますが、お元気でご活躍のことと思います。
さて、以前からたくさんの方々から要望がありました「シンクロニシティ」の講演会&セミナーを連日開催することになりました。
ご都合に合わせてどちらかをお選びください。
もちろん両方に参加されても結構です。
★シンクロニシティ講演会
http://ilt.jp/sync/?i=%%c1%%
★「シンクロニシティ」ワンディセミナー
http://ilt.jp/synchro/?i=%%c1%%
時間空間は、私が研究した中で一番興味をそそられた分野です。
今回は日常生活の中で誰にでも起こっている「シンクロニシティの謎」を紐解いてみようと思います。
不思議な偶然の一致はなぜ起こるのでしょうか。
私たちの人生は、ほんとうは「偶然」から始まっているのです。
例えば、私の知らないところで、ある会社(A社)が、私への講演依頼を一週間先にやることを会議で決めていたとしましょう。
そして、一週間後にその会社から、私に講演依頼がくることになります。
それはすでに一週間前に決まっていたことですね。
一週間前に決まっていたことなど、私は知る由もありません。
そこで、私は直感や気配で何となく
「講演の依頼がどこからか来ないかな」と
心のなかで思っていると。
ちょうどそのとき、タイミングよくA社から講演依頼の連絡が飛び込んできたというわけです。
私はシンクロが起こったと感動するかもしれない。
A社の会議で私のことが話題に上がったのは、2年前に私の知人Cさんに「どこか講演先があればよろしく」といっていたかもしれないのです。
そのCさんがたまたまA社の教育担当者と親しかったので、A社の会議に上がったというわけです。
このように、私は自分の目標を達成するため過去に撒いた種が未来に花が咲いたことになります。
これは直接的な因果関係ではないので「因縁」の巡り合わせとして解釈しておきましょう。
実際はもっと複雑な因縁が巡り巡って、私の未来は刻々と、私の知らないところで、今という時間の中で、決まっていっているわけです。
仏教では、これらの現象を「因果応報」と呼んでいます。
一次元の時間上に起こる「因果関係」とは、まったく意味が違うものです。
話をまとめると
未来の私の目標に合わせて、過去の因縁が目標達成の原因となるように自動的に発生してくるというわけです。
原因があって結果があるのでなく、目標から原因が発生してくるという考え方なのです。
あなた自身も、このメルマガを読んでいる間に、あなたにまつわる未来が誰かによってつくられているのです。
ここで大切なのは、あなたの目標に合わせて未来がつくられているということです。
もし、目標がなければ、あなたの人生は大海に浮かぶ小舟のように、いつかは大海の藻屑となって消えて行く運命となります。
未来と今は同じものを、違うところから見つめているだけに過ぎないのです。
「今」という中に「過去」も「未来」も含まれてしまっています。
別の言い方をすれば、時間は流れていない、「今」という「空間」の中にすべてが存在しているのです。
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月末のご多忙な時ですが、ぜひご参加いただけたら嬉しい限りです。
このご縁から、見えないシンクロが起こるかもしれませんね。
★シンクロニシティ講演会(7月30日)
http://ilt.jp/sync/?i=%%c1%%
★「シンクロニシティ」ワンディ(7月31日)
http://ilt.jp/synchro/?i=%%c1%%
それでは、お会いできることを楽しみに致しております。
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ロストテクノロジー研究所
大阪市中央区玉造2−6−7