ものごとには始まりがある
つぶやき
2011年04月02日
2011年04月01日
5次元意識
陰陽論の中で「陰は陽を制す」と書かれています。
別の表現をすれば「陽は陰に包まれている」ということです。
宇宙も空間という陰の中に陽の星々が存在しています。
社会も文化や文明という陰の中で陽である憲法や法律が制定されています。
陽は見えるが陰は隠れて見えないものです。
私たちの意識は3次元世界に留まっていますが、見えない4次元意識に包まれているのです。
3次元の意識はものごとを分けてしまいます。
神と人間、私とあなた、心と肉体というふうに。
それに比べて4次元意識は、すべてつながったひとつの世界です。
4次元意識の世界はエネルギーのみの世界です。
エネルギーが3次元の世界を形作ってるに過ぎません。
4次元世界は調和(愛)の世界です。
ここで言っている次元は物理的な次元ではありません。
エネルギーの階層(波長)のことです。
3次元意識を4次元意識に高めるには、自分自身の心の奥底に入っていくしかありません。
その最たる方法が「瞑想」です。
http://ilt.jp/meisou/
4次元意識は宇宙と人間が一体になれる意識階層です。
宗教的な表現をとれば「神との遭遇」ということでしょうか。
ほんとうの幸せは心のなかにあることを、有史以来その時々の賢者は何度も私たちに伝えてくれています。
お互いに真実を求める旅の途上で迷ってるのかもしれません。
知っても知らなくても私たちはもうすでに4次元意識に包まれながら生きているのです。
--------------------------------------------------------------
★編集後記
今日から4月ですね。
今回の震災で花見も中止のところが多いですね。
自粛も大切ですが行き過ぎた自粛は経済を冷やします。
日本再生のためには経済の活性化が必要です。
今こそ平常心になっていつもの日常生活を取り戻したいものです。
そうしないと被災地の人々を救済できなくなります。
別の表現をすれば「陽は陰に包まれている」ということです。
宇宙も空間という陰の中に陽の星々が存在しています。
社会も文化や文明という陰の中で陽である憲法や法律が制定されています。
陽は見えるが陰は隠れて見えないものです。
私たちの意識は3次元世界に留まっていますが、見えない4次元意識に包まれているのです。
3次元の意識はものごとを分けてしまいます。
神と人間、私とあなた、心と肉体というふうに。
それに比べて4次元意識は、すべてつながったひとつの世界です。
4次元意識の世界はエネルギーのみの世界です。
エネルギーが3次元の世界を形作ってるに過ぎません。
4次元世界は調和(愛)の世界です。
ここで言っている次元は物理的な次元ではありません。
エネルギーの階層(波長)のことです。
3次元意識を4次元意識に高めるには、自分自身の心の奥底に入っていくしかありません。
その最たる方法が「瞑想」です。
http://ilt.jp/meisou/
4次元意識は宇宙と人間が一体になれる意識階層です。
宗教的な表現をとれば「神との遭遇」ということでしょうか。
ほんとうの幸せは心のなかにあることを、有史以来その時々の賢者は何度も私たちに伝えてくれています。
お互いに真実を求める旅の途上で迷ってるのかもしれません。
知っても知らなくても私たちはもうすでに4次元意識に包まれながら生きているのです。
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★編集後記
今日から4月ですね。
今回の震災で花見も中止のところが多いですね。
自粛も大切ですが行き過ぎた自粛は経済を冷やします。
日本再生のためには経済の活性化が必要です。
今こそ平常心になっていつもの日常生活を取り戻したいものです。
そうしないと被災地の人々を救済できなくなります。
2009年12月09日
2009年11月16日
無欲の大欲
周辺を眺めれば、自分を支援してくれる友人知人がたくさん居るにもかかわらず、人は時々言いようのない孤独感に苛まれることがあります。
それは、究極の自分と対決したとき、心の奥底からふつふつとわき上がってくる感情です。
「自分とは何か?」
自問自答し、彷徨いながら答えを見出そうとすればするほど、迷路に落ち込んでいく。
自分の中に答えは無いように思います。
脳を使って脳を研究しているようなもので、脳という系から外れた発想は出てこない。
やがて、相対性の中にしか自分が存在していないことに気づく。
自分とは、ドーナツの穴のようなものです。
回りがなくなれば穴もなくなります。
宇宙、人間、自然、神などの自分を取り囲む外界に目を向けざるを得なくなります。
ドーナツの外側と穴が一体であるのと同じように、自分と外界の世界は切っても切り離すことが出来ない関係です。
「自分とは何か?」
という問いかけは、宇宙とは?人間とは?神とは?自然とは?という問いかけと同じものです。
自分とは森羅万象すべての関係性の中にしか存在し得ないことが理解できます。
ならば孤独感など本来あり得ない感情です。
ドーナツの穴のように、自分自身を「無」にしたときに、宇宙(神)と一体となり孤独感はなくなります。
その第一歩は「孤独感」を味わうことから始めなければならないのでしょう。
無欲の大欲とはよく言ったものです。
それは、究極の自分と対決したとき、心の奥底からふつふつとわき上がってくる感情です。
「自分とは何か?」
自問自答し、彷徨いながら答えを見出そうとすればするほど、迷路に落ち込んでいく。
自分の中に答えは無いように思います。
脳を使って脳を研究しているようなもので、脳という系から外れた発想は出てこない。
やがて、相対性の中にしか自分が存在していないことに気づく。
自分とは、ドーナツの穴のようなものです。
回りがなくなれば穴もなくなります。
宇宙、人間、自然、神などの自分を取り囲む外界に目を向けざるを得なくなります。
ドーナツの外側と穴が一体であるのと同じように、自分と外界の世界は切っても切り離すことが出来ない関係です。
「自分とは何か?」
という問いかけは、宇宙とは?人間とは?神とは?自然とは?という問いかけと同じものです。
自分とは森羅万象すべての関係性の中にしか存在し得ないことが理解できます。
ならば孤独感など本来あり得ない感情です。
ドーナツの穴のように、自分自身を「無」にしたときに、宇宙(神)と一体となり孤独感はなくなります。
その第一歩は「孤独感」を味わうことから始めなければならないのでしょう。
無欲の大欲とはよく言ったものです。